論説 — 「豊かさ」を測り直す
By Nihongo PathUpdated
Strategy notes: read these before the passage
- Long argumentative essays usually reject two opposing positions and then propose a third. Identify both rejected positions and the shared error the writer attributes to them.
- The essay anticipates its own counter-argument (では、別の物差しを持てばよいのか。ここに罠がある). Track how the writer answers each self-posed question.
- Distinguish 指標の交換 (replacing the yardstick) from 指標との距離の取り方 (how to relate to it). The proposal is the second; the first is explicitly rejected.
Passage
経済成長が鈍化して久しい。国内総生産の伸び率は年によって上下するものの、かつてのような右肩上がりを取り戻す気配はない。この事実をめぐって、悲観と楽観の二つの語りが並行して存在している。悲観論者は「成長なくして豊かさなし」と言い、楽観論者は「もう十分に豊かなのだから、成長は要らない」と言う。私はどちらの語りにも、同じ一つの誤りが潜んでいると考える。それは、「豊かさ」を測る物差しを問い直さないまま、その量だけを議論しているという誤りである。
国内総生産は、市場で取引される財とサービスの総額を測る。この指標が優れているのは、比較可能で、集計が容易で、政策の効果を数字で示せる点にある。だが、その設計上、市場を通らないものは一切数えられない。家庭内の育児も、隣人への手助けも、静かな夜も、指標の上ではゼロである。逆に、交通事故が増えて修理と医療の需要が伸びれば、数字は上がる。指標は「何が売買されたか」を語るのであって、「人がどう生きているか」を語るのではない。
この限界は、指標を設計した経済学者たち自身が最初から認めていたことだ。にもかかわらず、数字は一度社会に定着すると、その出自を忘れて独り歩きを始める。「測れるもの」が「大事なもの」にすり替わり、「測れないもの」は政策の視野から静かに消えていく。成長率が落ちたときに社会が感じる不安の相当部分は、実際の生活の悪化ではなく、この「唯一の物差し」の目盛りが下がったことへの不安なのではないか。
では、別の物差しを持てばよいのか。ここに罠がある。幸福度や生活満足度を国際比較する試みは既に多く、それ自体は有益だ。しかし、それらを「新しい唯一の指標」に据えようとした瞬間、同じ問題が形を変えて再来する。幸福を測ろうとすれば、測りやすい幸福だけが数えられ、測りにくい幸福は消える。物差しを替えることは、物差しへの依存を解くことではない。
私が提案したいのは、指標の交換ではなく、指標との距離の取り方である。数字は現実の一断面を切り取る道具として尊重されるべきだが、その断面の外に何があるかを、数字を使う者は常に言語化する義務を負う。「成長率は下がったが、労働時間は減り、通勤は短くなり、親が子と過ごす時間は増えた」——こうした文を、数字と並べて語ること。統計に還元されない部分を、統計と同じ重さで扱うこと。
これは容易ではない。言語化されたものは数字ほど比較しにくく、政治的な説得力にも欠ける。「測れないが大事だ」という主張は、しばしば「測れないから曖昧だ」と切り捨てられる。しかしその切り捨てこそが、物差しへの依存の症状なのである。測れないものを語る困難を引き受けることは、思考の怠慢ではなく、思考の労働である。
成長が鈍化した社会は、確かに一つの物語を失った。だがそれは同時に、その物語の外に何があったかを見直す機会でもある。豊かさとは何か、という問いを、成長という答えで塞がずに済む時代が来たのだと、私は捉えている。悲観でも楽観でもなく、測り直すこと。それが、いま求められている態度だと思う。
Vocabulary in this passage
- 鈍化するどんかする
- to slow down
- 国内総生産こくないそうせいさん
- gross domestic product
- 右肩上がりみぎかたあがり
- steady rise
- 物差しものさし
- yardstick, measure
- 指標しひょう
- indicator, index
- 集計しゅうけい
- aggregation, totaling
- 出自しゅつじ
- origin
- すり替わるすりかわる
- to be swapped, substituted
- 目盛りめもり
- scale marking
- 据えるすえる
- to set up, install
- 還元するかんげんする
- to reduce to
- 怠慢たいまん
- negligence
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